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「小野妹子」と遣隋使
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皆様、「新年明けましておめでとうございます。」今年もホテル21を宜しくお願い申し上げます。
さて、皆様は「小野妹子」という名前は当然歴史で習われたことと思います。
「小野妹子」は、飛鳥時代の607年に推古天皇(聖徳太子)が、中国の隋と国交するにあたり、第一回遣隋使となり通訳「鞍作福利(くらつくりのふくり)」を従えて渡海した人物です。
その、「小野妹子」の出自(出身)は、近江国滋賀郡小野村(現在の大津市)の豪族で、春日氏の一族小野氏の出身である事は間違いないようです。しかし、「小野妹子」の墓にまつわる説が2つほどあり、現在も謎とされています。
その説の一つは、大阪府河内郡太子町の科長神社(しながじんじゃ)南側の小高い丘の上にあるそうです。
詳しくはこちらから→http://www.bell.jp/pancho/travel/taisi-siseki/kofun/imoko_no_haka.htm
そしてもう一つの説は、「小野妹子公園」(滋賀県大津市小野)そばの唐臼山古墳(からうすやまこふん)を「小野妹子」の墓とする説もあるそうです。但しこの唐臼山古墳南方の古墳は、妹子の父の墓である可能性が高いとも指摘されているようです。
詳しくはこちらから→http://homepage1.nifty.com/~sakuranamiki/room1ww.htm
私事ですが、この「小野妹子公園」のすぐ近所に住んでおります。確かに公園の周りは住宅地なのですが、この公園を含む古墳の山一つだけがほとんど手付かずの状態です。そして、湖西線の駅名で、「唐崎」・「雄琴」・「小野」・「和邇」・「蓬莱」・「比良」などの駅名がありますが、いかにも中国から来た地名のようで、まさしく「小野妹子」が持ち帰った地名だと私自身信じています。